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代表より2024年のご挨拶

2024年 年頭所感

新しい年を迎えられたことにお慶びを申し上げます。今年は甲辰(きのえ・たつ)の年です。「甲」は十干の最初であり、生命が誕生した状態を表し、「辰」は、十二支の5番目で、草木成長が一段落し整った状態を表すそうです。陰陽五行思想では、「甲」は、きのえ、即ち、「木」の陽を意味し、成長、柔和、春の象徴であり、陽は積極的、大きいという意味で、合わせて、急成長、寛大、屈曲、発展を表すそうです。今年は、様々なものが光を浴びて、成長し発展する年であると解釈できます。

元旦には、能登半島で大地震が発生し多くの方々が被災されました。亡くなった方のご冥福をお祈りします。一刻も早い救助・救命と復旧、今後、このような災害を繰り返さないような復興を願っております。さて、関東大震災から100年を経て、次の首都大震災へのカウントがまた1つ縮まっています。この約30年前、1891年に起こった直下型地震である濃尾地震では、多くの研究者が現地に赴き、地震と建物の揺れ、被害・無被害の実態と要因、そして対策について、様々な見解・提言を発表しました。横河民輔は、著書地震の中で、「免震基礎では、水平動には効果があるが上下動には効果がない。消震構造は、柔軟主義ではなく、上下動・水平動・傾斜動を減殺する升組(斗組)のように各柱に消震機構を持つもので、仏閣、天守閣のような木造が好例である。」と述べています。この地震では華奢な木造、煉瓦造、石造の洋風建築に被害が目立ちました。この対策、あるいは代案として生まれた新しい構造が耐震構造です。佐野利器は、弾性論と力学に立脚した耐震設計法を創始し、高さを30m程度に制限、材料にも、重量にも十分な安全率をもって、建物を弾性範囲内に留めることを提唱しました。関東大震災でその効果が認められ、制度化されています。現在でも、中低層の鉄筋コンクリート系建物には、この伝統が息づいています。

しかし、1960年代には、佐野の方法は、観念的耐震構造法であるとされ、米国から輸入されたコンピュータによる数値計算と模型実験を背景に数量的設計法と呼ばれる方法が作られました。戦時中の材料倹約と荷重削減の規格を受け継ぎ、建物が弾性範囲を超えることを前提に、数値計算で安全を確かめようとする方法です。これが、木造住宅から300mを超える超高層ビルまでを設計する現在の新耐震基準の原型となっています。

地盤や構造物は複雑で、スケールは巨大です。地震の揺れは、不規則であり、不確定です。大地震で、構造物が弾性範囲を超えて揺れると様々な要素が複雑に絡み合います。コンピュータの中での計算や、実験装置での実験は、これらの要素の内、ほんの幾つかだけを動かすものですので、他の大多数の要素は予め固定して行われます。その結果は、現実には起こり得ない極めて特殊な一例に過ぎません。弾性範囲ならば、このような計算でも構造物の性能評価に役立てることはできますが、建物が地震で弾性範囲を超えた後に対しては無理です。これを敢えて行っているのが新耐震基準です。構造物の揺れ方は勿論、地震自体も、その大きさや揺れ方を予め決めることによって、計算を行っています。極めて特殊な方法です。ところが、教科書や一般向けの解説では、新耐震基準が用いている計算法は、恰も自然の法則に即した汎用的なものであるかのような説明や、新耐震基準は、震度6強から震度7の地震を想定しているという説明すら行われています。新耐震基準が、本当に、力学に立脚した汎用的な計算法を用いており、最大震度である震度7の地震まで想定しているのであれば、変更する必要などないのですが、これは、真実ではありません。

1995年の阪神・淡路大震災で、1981年以降建築の新耐震基準で設計された建物の倒壊率が小さかったことから、新耐震基準は妥当であるとされ、その後、東日本大震災、熊本地震を経ても、建築物の耐震基準は基本的な計算法と数値はほとんど変更されずに、約30年が経過しています。このままでは、何年経っても、今の基準は新耐震基準と呼ばれ続けるでしょう。しかし、被害統計を詳しく見てみれば、旧耐震でも、中低層のRC系建物は倒壊することは稀であり、木造やインフラ施設は新耐震であっても、大きな被害を生じていることが分かります。一方、新耐震、耐震補強済みでも、壁にひび割れが生じ大規模修繕や建て替えを余儀なくされる事例が相当数あります。免震・制震建物では、装置の破損、取り付け部の破壊が生じています。東京の超高層ビルは、東日本大震災で揺れによる設備機器の被害で使用停止を余儀なくされ、火災も生じました。熊本地震で観測された地震動を受ければ、大阪に実存する超高層ビルは、計算上は倒壊するというシミュレーションが公開されています。東京に大地震が起これば、群衆雪崩、未治療死、火災旋風、化学工場の爆発、地震洪水、水の備蓄不足、そして、円・日本株の暴落、経済崩壊につながるとNHKで報じられていました。ミサイルによる空爆、あるいはテロ攻撃でも同様でしょう。

現在の東京、大阪を始め日本の大都市では、超高層を中心とする再開発が続々と竣工し、計画も目白押しです。高さも密度も100年前の関東大震災当時の約10倍に達し、増加の勢いは衰えません。地震対策は、新耐震基準で十分である。変更の必要はない。旧基準の耐震診断と補強をすればよいと信じられ、膨大な補助金が支出されています。

関東大震災に先駆けて起こった濃尾地震後の調査研究の蓄積と多くの技術者の努力により、東京は見事に復興しました。隅田川には、それぞれが独自性をもった重厚な5橋が掛けられ、東京大空襲を受けても無事で避難路となり、多くの人々の命を救いました。次の首都大震災を切り抜け、その次の震災までの間に街と国を再建するには、まず、これ以上の高密度化と高層化を避けることが不可欠です。さらに、現状の危険性を把握、評価し、限られた時間と資源の中で、最善な対策を実施することが必要です。これには、絶対化しつつある新耐震基準の力学的合理性、論理的正しさを再検討し、次の首都大震災の先駆けである阪神・淡路大震災とその後の地震の揺れと構造物の被害・無被害の実態と要因を分析し、新たな方法を探求することが必要です。

弾性論と力学に立脚した耐震基準の原点に返り、1000年の歴史と伝統を持つ木造と、100年の蓄積を持つ鉄筋コンクリート技術に21世紀の科学技術を加えた新しい構造と設計法を生み出すことが、安全で快適な日本を作ることにつながると信じています。物の弾性と慣性を活用し、人の感性を生かす微動診断、収震構造・収震設計法はひとつの選択枝です。

収震:地震の揺れを自然な変形によって収める

地震が起こると、地面はその位置と向きを大きく変えます。従って、地面の上に建っている建物、インフラ施設など(構造物)は、揺れを小さくするためには、図に青い線で示したように大きく変形する必要があります。しかし、従来は、揺れや被害は構造物の変形によって生ずると信じられていました。そこで、柱を太くし、耐震壁を入れたり、免震・制震装置を用いて変形を小さくするような耐震基準が作られました。ところが、図に赤い線で示すように、地震を受けたときにほとんど変形できないと、地面と同じように大きく激しく揺れてしまい、中にいる人や設備の損傷は避けられません。さらに、地面と一緒に動こうとするので、大きな力(地震力)を受けて弱いところから壊れてしまいます。東日本大震災、熊本地震などで、写真のように耐震基準を満たした建物や耐震補強済みの建物の内部が惨憺たる状況になり、あちこちに大きな亀裂が入ったことが多数報告されています。壁や装置で変形を抑えようとすると、大地震では大きな揺れと力を生じてしまい、被害が生ずることは、図のように空から地面と構造物の両方を見れば一目瞭然ですが、従来は、動く地面の上から構造物を見て設計していたので気付かなかったようです。

物には、力が加わっても元の位置に留まろうとする慣性と呼ばれる性質があります。また、自然な形に変形して、力が抜ければ元の形に戻る弾性という性質もあります。これらによって地面も構造物も元の位置の周りで、常に振動しています。地震によって、地面がもとの位置から大きく激しく動いても、図の太い線で示したように構造物が自然な振動を続けられれば、それほど揺れずにすみます。これは、しなやかな材料でコンクリートの柱や壁、木造の接合部を補強すること(SRF工法)で実現できることが、理論・実験と実測で確認され、近年の地震で実証されています。地面から来た地震のエネルギーは構造物を壊すような力に変わることはなく、反射して地面に返っていきます。地震が終われば、揺れは自然に収まります。これを収震と呼んでいます。変形を抑えようとする耐震、免震・制震とは違い、自然な変形で揺れを収める新しい方法です。さらに、SRF工法は万一地面が想定を超えるような動きをした場合でも柱が床を支持し続けて倒壊の危険性を減らすフェイルセーフ効果もあることが実験で確認され地震で実証されています。

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